恐怖と対峙する
恐怖と対峙する
7月の終わり頃にちょっと個人的に愕然とするような一件がありました。
それはピュアであること 誠実であることが信条だった私の前に現れた
あまりにもの残念な嘘偽り的出来事でした。
ちょっとショックだったこともあり、世俗から離れたくなりました。
自分のやってきたこと、真実とは?自らの方向性は?と、
よくわからなくなりしばらく家に籠もろうと思いました。
そうです この機会にもう一度 しっかりと
『行』に専念しようと思ったのです。

ご存じの方も多いと思いますが、私はクンルンネイゴン実践者です。
今年の秋で早12年になります。
クンルンエネルギーの素晴らしさは言葉に出来ないくらいです。
だから こんなにも長い間続いているのだといえます。
しかし、その素晴らしいエネルギーは繊細な私にとっては
ある意味、脅威でもあります。何しろ反応が凄まじいのです。
寝込むことはしょっちゅうで、脳全体がぐわんぐわんして
平衡感覚も怪しくなり、眠気やだるさにも包まれるので
とうてい、仕事も家事もまかなうことが出来なくなります。
そいうことで、長きにおいて携わってきたとはいっても
実際の所 おそるおそる取り組んできたといった感じでした。
何か行き詰まった時の突破口として・・・クンルンマスター達の
エネルギーの助けを受けたいときなど、困ったときの神頼み的に
実践してきたというほうが合ってるかも知れません。
幼少の頃から、何でも自分でやりたがった性格が
田舎社会になじめず、変わり者だと言われ続けたり
シカトされるような いじめにもよくあっていました。
周りが皆んな敵のように見えたことによって
いつしか、信じられるのは自分だけという『スーパー頑張る自己主張お化け』
となっていました。
そんなことから、人に頼ることが出来ない、甘えることができない
自分だけが頼り、攻撃されたら100倍にして返してやるわっ!!という
気性の激しさだけでいえば恐竜級だったのでしょう。
「よく結婚できたなぁ」と母は不思議がったものです。
そんな私が ある生死をさまよう経験後
人が変わったように繊細でエネルギーに敏感な人間へと
変わってしまいました。
そうなのです。あの自分だけが頼りのバリバリ自己主張女は
消え去り、人に頼らなければ生きていけない、感謝するしかない
人生へと変わっていったのです。
それでも元々自己主張タイプだった癖は抜けきれず
なんとか自分でまかなおうと頑張ってしまいます。
「宇宙にゆだねて生きる」というのは マイ・テーマなのですが
そうです出来ないから テーマなのです。

だいぶ本題からずれてしまいましたが
自らの恐怖心に対峙するということは
そのクンルンネイゴンという『行』に関係しています。
世俗に背を向けた私は、今までになかった
毎日コツコツ行を続けていこうと決心しました。
しかし それは私にとって
まさに恐怖と向き合うことでもあったのです。
クンルンネイゴンは、形なき形 エネルギーなきエネルギーと言われ
毎回 同じように決まった状態とはなりません。
とても穏やかに心地良い時もあれば驚くほど激しいときもあります
そして その後のエネルギー的反応も様々です。
めちゃめちゃパワフルで元気になるときもあれば
寝込むほどめまいが止まらない時もあります。
反応は人それぞれですが こんなに酷い人は見たことないので
つくづくスーパーセンシティブを自覚するしかありません。
何かをしたいと思っても出来ない、毎日違う不都合なことが
自分の身体に起きる(これは浄化とも言います)
受け入れるしかない ゆだねるしかない でも
もともと ゲームのように人生を楽しみたい派なのに
ずっと家にいると気が狂いそうになってくる。
何かがしたい!!生きてる!!という実感が欲しいと
もがいていたある日。頭の中にある声が聞こえました。
「ソフィー 世の中ってのは すべて 起こってるんだよ」
「ただ起こって来るんだ」「それだけなんだよ」・・・・

何かをしなきゃ と思っていた私の中に光が見えた瞬間でした。
そうだった クンルンという人生がある日突然起こったのだった。
それは 本当に素晴らしいギフトだったのだ。
『クンルンネイゴンは「やる」か「やらない」かだけ、
「でも たぶん だけど」などの中途半端はないんだ』と
クンルンマスターのマックスは言います。
きっかけは ネガティブなことだったかもしれないけど、
私の前に この行を改めて毎日コツコツやろうという出来事が起こった。
そして 私は「やる」と決めた ただそれだけ・・・それでいいんだ!!
恐怖と対峙するということは 本当に勇気がいることだと思います。
でも それを超えなきゃ見えないこともあるんだと思います。
そして 決心する。そうすることで また なんらかの出来事が
ただ起こって来るんだと思います。
7月の終わり頃にちょっと個人的に愕然とするような一件がありました。
それはピュアであること 誠実であることが信条だった私の前に現れた
あまりにもの残念な嘘偽り的出来事でした。
ちょっとショックだったこともあり、世俗から離れたくなりました。
自分のやってきたこと、真実とは?自らの方向性は?と、
よくわからなくなりしばらく家に籠もろうと思いました。
そうです この機会にもう一度 しっかりと
『行』に専念しようと思ったのです。

ご存じの方も多いと思いますが、私はクンルンネイゴン実践者です。
今年の秋で早12年になります。
クンルンエネルギーの素晴らしさは言葉に出来ないくらいです。
だから こんなにも長い間続いているのだといえます。
しかし、その素晴らしいエネルギーは繊細な私にとっては
ある意味、脅威でもあります。何しろ反応が凄まじいのです。
寝込むことはしょっちゅうで、脳全体がぐわんぐわんして
平衡感覚も怪しくなり、眠気やだるさにも包まれるので
とうてい、仕事も家事もまかなうことが出来なくなります。
そいうことで、長きにおいて携わってきたとはいっても
実際の所 おそるおそる取り組んできたといった感じでした。
何か行き詰まった時の突破口として・・・クンルンマスター達の
エネルギーの助けを受けたいときなど、困ったときの神頼み的に
実践してきたというほうが合ってるかも知れません。
幼少の頃から、何でも自分でやりたがった性格が
田舎社会になじめず、変わり者だと言われ続けたり
シカトされるような いじめにもよくあっていました。
周りが皆んな敵のように見えたことによって
いつしか、信じられるのは自分だけという『スーパー頑張る自己主張お化け』
となっていました。
そんなことから、人に頼ることが出来ない、甘えることができない
自分だけが頼り、攻撃されたら100倍にして返してやるわっ!!という
気性の激しさだけでいえば恐竜級だったのでしょう。
「よく結婚できたなぁ」と母は不思議がったものです。
そんな私が ある生死をさまよう経験後
人が変わったように繊細でエネルギーに敏感な人間へと
変わってしまいました。
そうなのです。あの自分だけが頼りのバリバリ自己主張女は
消え去り、人に頼らなければ生きていけない、感謝するしかない
人生へと変わっていったのです。
それでも元々自己主張タイプだった癖は抜けきれず
なんとか自分でまかなおうと頑張ってしまいます。
「宇宙にゆだねて生きる」というのは マイ・テーマなのですが
そうです出来ないから テーマなのです。

だいぶ本題からずれてしまいましたが
自らの恐怖心に対峙するということは
そのクンルンネイゴンという『行』に関係しています。
世俗に背を向けた私は、今までになかった
毎日コツコツ行を続けていこうと決心しました。
しかし それは私にとって
まさに恐怖と向き合うことでもあったのです。
クンルンネイゴンは、形なき形 エネルギーなきエネルギーと言われ
毎回 同じように決まった状態とはなりません。
とても穏やかに心地良い時もあれば驚くほど激しいときもあります
そして その後のエネルギー的反応も様々です。
めちゃめちゃパワフルで元気になるときもあれば
寝込むほどめまいが止まらない時もあります。
反応は人それぞれですが こんなに酷い人は見たことないので
つくづくスーパーセンシティブを自覚するしかありません。
何かをしたいと思っても出来ない、毎日違う不都合なことが
自分の身体に起きる(これは浄化とも言います)
受け入れるしかない ゆだねるしかない でも
もともと ゲームのように人生を楽しみたい派なのに
ずっと家にいると気が狂いそうになってくる。
何かがしたい!!生きてる!!という実感が欲しいと
もがいていたある日。頭の中にある声が聞こえました。
「ソフィー 世の中ってのは すべて 起こってるんだよ」
「ただ起こって来るんだ」「それだけなんだよ」・・・・

何かをしなきゃ と思っていた私の中に光が見えた瞬間でした。
そうだった クンルンという人生がある日突然起こったのだった。
それは 本当に素晴らしいギフトだったのだ。
『クンルンネイゴンは「やる」か「やらない」かだけ、
「でも たぶん だけど」などの中途半端はないんだ』と
クンルンマスターのマックスは言います。
きっかけは ネガティブなことだったかもしれないけど、
私の前に この行を改めて毎日コツコツやろうという出来事が起こった。
そして 私は「やる」と決めた ただそれだけ・・・それでいいんだ!!
恐怖と対峙するということは 本当に勇気がいることだと思います。
でも それを超えなきゃ見えないこともあるんだと思います。
そして 決心する。そうすることで また なんらかの出来事が
ただ起こって来るんだと思います。